読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

マドゥモァゼル・ムウムウがゆく

 芸術をやりながら生きています。このブログは、観た映画や読書記録等、発想ストック的雑記帳です。

キラキラしたコミュニティでメンタルを自爆させた話

 要するに、酒と煙草が出世に必須かもしれない世界で、いかにこれらを排除して生きていくかを本気で考えるまでに至ったか。という話です。

 

 いわゆる”キラキラ系”にはなれない自分を認めるまで、随分と長い時間がかかってしまった。もっと早い時期に自覚すべきだったという自戒もこめて、やたらとキラキラした連中とつるんでメンタルを自爆させた経験を話そうと思う。

   尊敬できる人がいた。

 それは、色々と消耗しやすいタイプの人間には明らかに向いていないコミュニティだった。SkypeやLINEでやれば済むようなことを、いちいち集まらねばならないとか。

しかし、そこには尊敬できる人がいた。

面倒な大人に囲まれて育ち、かといって自分の心を殺すこともできず、生存戦略としての面従腹背が当たり前になっていた私が生まれて初めて、心の底から尊敬できる人に出会った。その人の意見や指示は本当に素直にきくことができた。

自己啓発本に書かれているような言葉で拒否反応を示す方も多いとは思うが、本当に、よき師匠との出会いは一生の宝物だと思う。そういった意味で私は運が良かった。)

だから、私は頑張ってついて行こうとした。

そこでは、親睦を深めるための飲み会みたいなものが頻繁にあった。

後になってよくよく考えてみたら別にそれに出席しなくても活動についてのフィードバックを得られる場所はきちんと用意されていた。

にもかかわらず、私は頑張ってしまった。

 そのコミュニティには、結構な割合の喫煙者がいた。そして恐ろしいことに、私は喘息持ちだった。

私は自分がタバコの煙で具合が悪くなることを言えなかった。

もしそのことを言って「次から無理して参加しなくていいよ」と言われることは私にとってそのコミュティでの位置を失うことであり、死を意味していたからだ。

それどころかむしろ、積極的に彼らに近づくような真似までしていた。

今思えばなんとバカバカしいことなのだろう。

  セルフ強制終了

 気管支拡張剤中毒(そんなものがあるのかは知らないが)みたいな状況になりながら、医者に薬の使いすぎを注意されながら、それでもなんとか続けた。

"終わり"はじわじわと近づいてきた。しかし、私はそれを認めたくなくて目を背け続けた。常に「いったい私は何をやっているんだ?」という、猛烈な虚しさの中にいた。楽しさは消え、いかにコミュニティにしがみつくかしか考えない日々。

完璧に、目的と手段を取り違えていた。

それでもなんとか作品の展示までこぎつけ、これまた苦手なオープニングパーティを済ませることまではできた。

 

たしか、作品の保守点検のために在廊している時だった。ふと自分の作品が目に入った時、私は無意識にこう呟いていた。

 

「くだらない」

 

 あれだけ精神を削って作り上げたつもりでいた作品を前にして、自分の中から湧き上がってくるコメントはたったそれだけだった。

全身から力が抜けた。後のことはまるで夢を見るようにしか覚えていない。

はやくも次のプロジェクトが動きかけていたが、体調不良を理由に私はそのコミュニティから離脱した。

 

 道がないみたいなので、作ろうと思っている。

 最近になって「迷った時は内なる子供時代の自分にきけ」という文言を目にする機会があったが、今思うと、あの時の私の呟きは、そういったかんじのメッセージだったんじゃないかと思う。

目的と手段を間違えて、肝心の作品のクオリティがおざなりになっていたことに対して心の深い部分が「オメーいい加減にしろよ」と、言ってくれたのだと思う。

  現状は、色々と模索中だ。今でもああいうキラキラ系の人間たちに憧れていないと言ったら嘘になる。しかし、それは自分にはできないことだと身をもって知ってしまった以上、別の道を行くしかないのだ。色々と器用にできるやつらは別の人種だと思うことにした。

 既存のシステムやコミュニティにスッと入っていける方が何かと楽だし、最短距離なのだろう。しかし、それができないからと言って諦める必要は全くないと思いたいし、実際に大丈夫だということを行動で証明したい。してみせる。と、今は思っている。

 

今日くらい、素直になったらどうでしょう。

エイプリルフールですが、逆に今日くらい素直になったらどうでしょうか。

言えなかったことを言ってしまいましょうよ。

怪訝な顔をされたら「エイプリルフールですよ」と言って、笑ってごまかしましょう。